富山の専業米農家 濱田ファーム〈無農薬米・減農薬米 コシヒカリ〉

タンボマスターへの道

富山県黒部市の小さな専業農家・濱田ファームが
黒部川の清流で育った美味しいお米を直接お届けします。

富山の専業米農家 濱田ファーム〈無農薬米・減農薬米 コシヒカリ〉

代表者のページ

濱田ファーム代表 濱田智和

濱田ファーム代表 濱田智和です!

こんにちは!濱田ファーム代表・濱田智和です!まだまだ新米農家ですが、素人力を武器に、慣例にとらわれることなく、真面目に誠実に米作りをしています。お客様からの美味しかったよ!の声をエネルギーに、今日も田んぼで雑草と戦います!

ともまるの生い立ち

1971年(昭和46年)12月19日

富山県黒部市石田地区(立野)で濱田家の長男として生まれる。
石田小学校時代は近所をチャリで走りまくり、鷹施中学校では卓球部で球を打ちまくり、桜井高校ではバレー部でしごかれまくり。

ともまるの幼少時代

1989年(平成元年)

唯一合格(補欠)した新潟大学農学部に進学。
学部の名前とは裏腹に、農業についての知識は全く身につかず。
大学の自由な空気を謳歌し、テニスとスキーとバイトに明け暮れる。この頃一緒にバカな事をしていた友人たちとは今でも交流がある。

ともまる スキーに明け暮れる

1993年(平成5年)

就職できずに、やむなく新潟大学大学院へ。
学部時代とは打って変わって、研究にのめり込む。雑草をいかに抑制するかを題材に修士論文を書き上げる。めでたく農学修士として、農学研究科を修了。

1995年(平成7年)

季節の匂いがわかります!と就職試験で豪語し、東京の香料会社に就職。
研究開発部門にて、ハイチュウやグリーンガム、コアラのマーチなどのお菓子や、コーヒー飲料の香料を研究する日々を送る。
ついでに東京ライフを満喫しつつも、トーキョーの人ごみと住み難さにうんざりする。

ともまる研究開発部時代

2001年(平成13年)

サラリーマンをやめてカナダへ。ワーキングホリデービザを利用して1年間放浪。この年は30歳になる節目の年であった。
ビクトリア・ネルソン・バンフと移り住み、ファームステイやスキーを楽しむ。人生を変える経験を山ほどできた、まさに人生の分岐点となった年。
※詳しくは「ともまる カナダでの生活」をご覧ください!

カナダでのワーキングホリデーの様子
カナダでのともまると姫

2002年(平成14年)

カナダより帰国。
米農家になろうと突然思い立ち、富山県内の大農家さんで修行、米作りを一から学ぶ。
今から思えば農家になるのは昔からの夢だったのかもしれない。兼業農家とはいえ、小さい頃から田んぼを手伝い、何となくとはいえ農学部に入学し、周りの友人には濱田ファームの青写真を語っていたのを思い出す。

2004年(平成16年)

濱田ファームを発足。
農家修行を終え、いよいよ独立。
とはいえ右も左も分からないままの見切り発車に、周囲の反応は・・・・。そんな事オレには関係ないもーん、とかばりにチャレンジングな農業を仕掛け続ける。

2005年(平成17年)

カナダから嫁をもらう。

2006年(平成20年)

長女誕生。

coco誕生

ともまる 趣味の世界

子供の頃から慣れ親しんだスキーは、その後、広大なロッキー山脈に囲まれたスキー場で開花し、帰国後はインストラクターをするほど。ここ数年は娘を担いで滑るのみで、パウダー欠乏症…。大学で学んだテニスをはじめ、NBAやNFLなどスポーツ観戦、映画鑑賞、MTB、車など一般的な趣味に加え、リサイクル、ペンキ塗り、結束バンドアートなどなど、説明できないものも多数。
○ MHK(もらう・ひろう・かりる)友の会会長
○ ショルダーパッド(動噴肩ベルト)普及委員会会長

スキーをするともまる